第86回カルチャーセミナー 戦後の教育改革と新制中学校
第86回カルチャーセミナー
戦後の教育改革と新制中学校
~柿生中学校と生田中学校を中心に~
講師 小林基男氏(柿生郷土史料館 専門委員)
日時 5月28日(日) 13時30分~15時30分
会場 柿生郷土史料館(柿生中学校内)特別展示室
参加費 無料 どなたでも参加できます。
新制中学校は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の教育改革の一部として、国民学校(小学校)に続く義務教育校として、1947(昭和22)年5月に誕生しました。
国民学校の卒業生の希望者が進学した2年制の高等科は、中学校の新設に伴い46年度をもって廃止されたため、高等科の2年に進級する予定だった生徒たちを救済する必要から、新制中学校は、義務教育対象者として全員入学の1年生の外に、高等科1年修了者を対象に、希望者のみ入学を認める2年生を加えてスタートしました。
そこには3年生の姿はありません。高等科を卒業した生徒いついては、後は本人と家族の自由とされたのです。ですから文部省の記録にも、文部省が教育史の研究者を動員して編纂した大著『教育百年史』にも、1947年度の中学3年生には何の記述も残されていません。ところが当時の東生田駅(現生田駅)に近い生田中学校には、98名の3年生が在籍し、48年3月に第1回卒業式を行って送り出した記録が残されています。柿生国民学校高等科の卒業生も30名(男子23名、女子7名)が生田中学校3年生として通学していました。
なぜこのようなことが可能だったのか?乏しい資料と聞き書きを中心にお話させていただきます。